2009年02月17日

相撲とAVと八百長の問題

最近相撲で八百長が話題になっているが、一体何故世間がそんなに騒いでいるのか不思議に思う。

元々相撲というのは行事に基づく神事で、健康と力に恵まれる男性が神前にてその力を捧げ、神々に敬意と感謝を示す行為。
つまりはお祭なのであるから、その相撲誕生の由来を思えば元々八百長という言葉自体が成立しないということになる。

しかしだからといって力士が楽をしているかといえばそれは全く見当違い。
力士は誰もが認めるような体格と技術と力を身に付け、数少ない上位のポストを勝ち取るために日々激しい訓練をしている。
この練習こそが力士の一番大事な仕事で、場所中は晴れの舞台ということになるだろうか。
また仮にお金で星を買えたとしても実力がなければ横綱や大関にはなれず、稽古場で「こいつには勝てない」と思わせ、またガチンコで戦っても本当に強い者だけが出世出来るのは当然のこと。

朝青龍が相撲協会や親方衆からあれだけ嫌われるのは、おそらく彼がキングメーカー並みに巨大になってしまったからだろう。つまり朝青龍の気分次第で、その場所の優勝者を決められるくらいの実力と権力を持ってしまったことが周囲から危険に思われたに違いない。
もちろん彼に反抗する力士達もいるだろうが、何しろガチンコで勝負しても勝てないのだから結果的に従う他ないというのが本当のところではないだろうか。

相撲に限らず、プロレスも一昔前は八百長問題で活発な議論が展開されていたが、私はアントニオ猪木や橋本真也、天龍やジャンボ鶴田、三沢に小橋に川田などは一流のレスラーであると今でも思っている。
彼らが本当に戦ったらどうなんだろう?なんていうのは私には全く関係ない問題なのだ。

AVを見ているとき、「この女は本気でイッタのだろうか?」、「あの男優はバイアグラ飲んでいるからあんなに元気なのだろうけど、そのうち健康を害するんじゃないか?保険には入っているのかな?」、「汁男優の奴って、将来履歴書の職歴欄に一体なんて書くんだろう?」なんてことをいちいち考えていたらオナニーなど出来ないのと一緒なのである。

要は見ている側が感情移入出来る場を提供してくれるからこちらはお金を払ってビデオを借りるのであり、「さっきのAV女優と男優の絡み合いはガチンコだったんですか?」なんていうことは全く問題ではないし、むしろ知りたくない。
知る権利なんて所詮、汁の権利には勝てないのだ。


思えば厚化粧する女、流行の髪型や服装を研究してモテようとする男、キャバクラ嬢も玉の付いたニューハーフも叶姉妹も高須クリニックも世の中みんな八百長だらけじゃないか。
それでも男と女がやれくっついたり離れたり泣いたり喚いたりしながら何万年と生きてきているんだから、案外人類って偉大なのかもしれない。

1000年以上前に聖徳太子が残した言葉が「世間虚仮」ですが、その当時から世の中の本質ってあんまり変わっていないのでしょうね。






posted by Nako at 02:00| バンコク ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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