2007年08月22日

タンポポの花

私には、花を見て楽しむ能力が欠損しているらしい。

10代の頃、家族で北海道のお花畑に行ったことがあったが、この時も実に平坦な印象を受けた。

しかし花好きの人達にとってこの風景は、おそらく無類の喜びで全身の鳥肌が立つに相応しいヴィジョンとして映っているに違いない。
そう思うと、自分の中に花を楽しむ能力がないことが非常に残念に思えた。

だが20代も後半に差し掛かった近頃、ようやく私にも花を楽しむ能力がにわかに芽生えてきた気配を感じている。おそらくこれは、一番身近な存在である私の妻が無類の花好きであるということも影響してのことだろう。

花の色彩は黄色であることが好ましく、また道の隅っこにひっそりと咲いているような花に親しみを覚え、つきつめて言えばタンポポの花が好きだ。

タンポポは可憐というよりどちらかといえばマイナーな花であるかもしれないが、最近では道端にこの花が咲いていると、思わず足を止めて眺めてしまうこともある。

地味で目立ちこそしないが、健気に自分の人生を構築している。

マイナーではあるけど、たくましい生命力に満ち溢れている。

きっと私は、そんなタンポポの花のような存在にシンパシーを感じているのだと思う。


思えば私の父親も、マイナーなものが好きだった。

ファミコンブームが絶頂だった小学生の頃、「僕にもファミコン買って」とねだる息子に父親が買ってくれたものは、当時誰も見向きもしないSEGAのハードだった。

父親は、「これから間違いなく主流になるのはSEGAだから」と先見の明を力強く論じていたが、結局その目論見が的中する日はこなかった。

この父親のマイナー志向はスポーツにも顕著に表れ、例えばTVで巨人ー阪神戦が行なわれている時にしても、父親が応援しているのは当然阪神である。
ただし阪神ファンかといえばそんなことはなく、どうやら巨人を相手に戦っているチームならどこでも応援しているという風なのだ。

また父親は競馬もたしなむが、特に地方馬が中央競馬に参戦してきた時の熱の入れようは尋常ではない。

その地方馬が下馬評でまったく無印であることなどは何処吹く風で、「勝負はやってみないとわからない」と、その馬の単勝馬券をせっせと購入していたりする。こんな調子でやっているためか、父が競馬で儲けたという話しは聞いたこともない。


このように父親は、一事が万事、常にマイナーな存在を応援しているし、きっとそうすることが自分の生甲斐なのだろう。

思えば私には三つ上の姉が1人いる。
この姉は一流大学から一流企業に就職したという、いわば秀才タイプである。

しかし父親はこれまで、優秀な姉よりはいつだって私のことをかわいがってきてくれたように思う。


これまでどうしてだろうと不思議に思っていたものだが、今日その理由がなんとなくわかったような気がする。





posted by Nako at 20:43| バンコク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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